「死を超える命」 09.09.16
ヨハネ福音書11:17〜27
キリスト教会は、日曜日に礼拝を守ります。日曜日は、主イエスが
復活なさった記念の日だからです。主イエスは、復活によって死に
打ち勝たれました。人間にとっての大きな関心であり、だれもが必ず
迎える「死」の問題を解決なさいました。キリスト教会は、毎日曜日に
それを確認し、喜び、お祝いするのです。
聖書には、ある時主イエスがラザロという人をよみがえらせた事が
描かれています。そのことによって、主イエスが、人に命を与える力を
お持ちだということが明らかにされました。すでに永眠された方々だけで
なく、私たちもいずれ死を迎えますが、私たちは、ラザロに命を与えた
主イエスを知っています。このお方は、ラザロだけでなく主イエスを信じる
私たちにも命を与えてくださる方です。そして、私たちはその命を与え
られて、さらに永遠の天の国に迎え入れていただきます。
主イエスは、地上での肉体の命だけを考えてはおられませんでした。
聖書では、ひとりの人の存在は、地上での命だけではありません。
母親の胎内にある時から、神さまに目を注いでいただき、神さまの
書に記録されている存在です(詩編139編)。そればかりか、私たちは、
天地創造の前から神さまの心にとめていただいていた存在です
(エフェソ1:4〜5)。そのように地上に生まれる前から、存在するものと
されています。また、神さまは、ご自分のことを「アブラハム、イサク、
ヤコブの神」とおっしゃり、すでに地上の生涯を終えた先祖たちの神だと
おっしゃいます。地上の生涯を終えて死を迎えた者との関係を断ち切る
ことなく、その存在を認めておられます。時が来たときに、新しい命を与え、
天の国に迎え入れるためにです。
復活なさった主イエスは、そのことを「信じたらよい」とおっしゃいます。
「死ですべて終わることを信じなくても良い。私が命を与える。罪を
清められた天の国の新しい命を与える。」
この言葉に、永眠した方々も、私たちも包み込まれています。